Miss.Lの修業 その4

驚いていいのかそれとも恐怖を感じていいのか。
攻撃を受けながら少なくとも体は心を離れて歓喜している。
体が新しい動きに馴染んできている。悪意ある気配が驚くほど強くなっているにもかかわらずである。それも一つじゃない
飛礫を避けながらも馴染んできた体は余裕を取り戻した。飛礫の一つを打ち返せるほどに。
三拍子の飛礫、これは一度に三発の飛礫を打っている。そして片手は常に空いていて 曲折しているのは地面に当たり転がるときに角度が付いていることからも想像できる。
位置を、推し量られないようにした配慮だろう。
そして、近づく影はあまりにもあけすけに気配を出している。
音こそ聞こえない物の、プレッシャーの強さからそれを職業としているものの気配である。
これが、そうでなければ気負った気配が伝わってくる。
とにかく今の攻撃を防ぐのが先決である。
それにはあまりにも正確な攻撃こそが弱点である。
 
長老の座る椅子から 木までの距離は約15メートル。
椅子まで一気に近づいて、そして椅子を踏み台にしてジャンプする。
曲折する飛礫は正面か高速で近づく敵に向けて撃つには効率の悪い攻撃だからである。
大きく左に飛びのき、そこから左に円を描くように椅子までの距離を詰める。
相手には木に直接向かったのか、どうかが解らないような配慮である。
木の上から降り注ぐような攻撃も弧を描くこちらの動きを必ずしも読めているわけではない。左右に逸れるものも出て攻撃精度が下がったことを顕著に物語る。
今まで動かずに攻撃を受けていたことに比べると格段の進歩である。
ようやく反撃すべき糸口が見えてきたわけである。
木までの最接近ポイントでは当然攻撃の速度が上がることを想定し動きに速度を落とさずに済むように、その範囲で体をランダムに左右に振り狙点をずらす必要もあった。
足首の腱が着地した時の足の角度に合わせて非常に柔軟に動いてくれている。
いま、飛礫を避けるのに使った動きの応用で 今できるようになった動きながら 長い間当たり前にやっていたかのように体に馴染んでいる。
実戦での訓練が大事な理由である。
体がそのまま受け入れるべきものを素直に感じてくれている。反復して練習する時にはその意味なまじ考えているからこそ解らなくなることもある。
自分にとっての新しい感覚は自分の考えの中にないために、頭の中の常識にとらわれるとその動きの中で最も効率のよいものを自然と取り入れてしまうからである。
無理に近い動きを強いられて、考えるまでもなく動いた体が 頭の中の考え以上の動きを当たり前と認識して 動きが頭の中の感覚を書き換えたよい例である。
運動選手でも、ある時世界記録のような記録を出した選手は その後も世界の第一線で戦える能力を発揮することが多く 一皮むけたようになることが多い。
それは体が、その記憶を覚えこんでしまうかららしい。
 
最接近点から平行に迂回するようなルートをとり、まるで回り込んで木の上を窺うように動き そのまま抜けるはずだったがやはりそううまくはいかない。
頭が先行すると僅かではあるがそれで動きが鈍ることもある。修行不足と言えばそうなのではあるがそれが予想外に足を着くべきポイントに飛礫を呼び込んだ。
相手の攻撃は理にかなった素直なものである。
恰好はどうあれ動きさえ止めればそのあとはどうとでもなる。
特に頭や体に関しては体をひねるだけでその狙点をずらすことが可能ではあるが、これが着地する足を狙われれば多くの場合それを避けるすべはない。
これが棒術使いでなければと言う前提こそあればである。
第三の手であり足である棒は負担の大きい動きを強いられるが十分にその代わりを務めてくれる。
足よりわずかに早く棒が地面を蹴りもう一歩先の本来右足が着地すべきだった辺りに左足を着地させることができた、
相手の二撃はその足のつく点を狙っていたがこちらの足は平行棒の上を歩いているわけではないので右足がつくはずだった点に左足が着地するわけではないので労せずして避けることができたわけである。
そして、左右の足の交代は相手の攻撃に一瞬の迷いを生む効果も期待できた。そして現実に方向転換するために着地した軸足を45度程回すだけの時間が生まれた、
当然、蹴りだされた足は進行方向をずらし また、相手の攻撃の方向修正を強いることができる、
これは結果論であるが、いくらなんでもきれいな弧を描いての動きは進行ルートを相手に予測させるきっかけになるのだが(現に読まれたから危ない攻撃を受けた)事によっては相手の攻撃によってこちらがいったん引いて 攻撃の当たらない地点まで撤退したと勘違いさせることもできたかもしれない。
攻撃の意外性をより強くすることはできたはずである。
そして相手のこちらの動きの読みをリセットすることができた効果は高く狙いは相変わらず正確ではあるが迷いがあるので、攻撃対象が最も面積の広い胴に移っているために前述通り避けるのに体全部をコントロールする必要がなくなって楽になっている。
 

Miss.Lの修業 その3

煮詰まったときには練習する。
もちろん練習がしたいわけではなく、体を動かして頭を空っぽにしたいだけである。
踏み込んだ足を押し返す地面の力が心地よい痺れとして足の裏をくすぐる。
少なくとも昼よりはまともに体が動いている。
地面がトランポリンのように私の体を押し上げてくれる。この押し出す力に乗れば空を飛ぶことすら可能に思えてくるほど乗れている。
飛び上がる瞬間に足首の件が伸びているのがわかる。
あっ、もう一歩!!
 
着地の瞬間少し無理はあったが足を少し曲げて着地する。
なにか、小さなものが着地する直前にとんてきた。
着地を止めることをできるわけではないので、足首を少し捻って進行方向に向けてまっすぐ延びていたのを右に30度ほどは傾けることができた。
逆にいえばその程度が限界。
足首での着地のショックを吸収することの効果は期待できなかったので膝がいつも以上に曲がる。次の攻撃に備えてそのまま曲げた足を一気に伸ばしてそのまま前に進む力として使う。
予想通り今まで立っていた空間に何かが空を切って飛んで行った。
「縹?」
体を90度捻ったのは練習場にいて体が型を覚えているので無意識にやっただけではあるがそのお陰で三撃目もかわしたのはちょうど胸の前を通り過ぎる物体。速度からいっても銃などの近代火器の感じじゃない。至近距離を通過したにもかかわらずそこから匂いも熱さも感じられなかった。
拳法の型はすべての技を組み合わせて技を習うためのものなのですが、それだけではない。実践でもっとも効果が高かった戦い方の集大成でもある。故に今躱せたのも偶然ではない。型を覚えることは時間を作ることと教えられたのは伊達ではない。
攻撃を受けてこちらの対応を考える間の体を動かし相手の攻撃に自動対応するシステムとして働いている。そして、この時間を利用して対応を考える。
軌道から推測される発射点は毎度変化している。しかし、表面からだけ推測するのは危険です。誤認させる為に回転をかけて軌道を変化させている可能性がある。その証拠に角度は思ったほど多くは変わっていない。心配するのは相手が一人ではなく複数で行動することだが用兵術の基本として距離をとって相手に気がつかれず攻撃するのであれば 発見される可能性型から考えても分散していると考えられる。故に一人の可能性が高い。たった一人で攻撃してくるのは不自然だがそう考えるのが自然だろう。
相手が一人ならこちらから攻めるほうが効率がいい。
考えている間も体は自然に動いているし、相手の攻撃もかわせている。ただ、このままではいつまでも持たない。相手の攻撃が徐々に先読みを始めているからである。それに型も無限にあるわけではない。二周目はパターンを読まれているので今のような現在いる場所への攻撃だけでなくなる。こちらの速度も無限に上がるわけではないが思った以上に体が動いている。
あっ、余計なことを考えている・・・
そう、殺気が感じられないので相手の場所が分からない。見通しの良い練習場だから隠れる場所などそうそうあるはずはない。
考えられる場所は数か所。周りにある老木が二本といつも長老の座っている石で造られた椅子の後ろ。
斜めに少し角度がついて飛んでくる物体ということは高いところから落ちてきているように見える。だとすれば話は早い。相手の正確な攻撃も逆を返せば予測しやすい攻撃です。
 
相手がいないで行う型と実戦の違いは棒の使い方。
もちろん実戦を想定した練習ですが、相手がいないと地面をたたく物以外は必ず空を切り相手に当たったり、流されて方向を変えられることがない。
それゆえに相手に当たった瞬間に腕に流れ込む全身の力が盛り上がる瞬間がない。
今でも余裕を持っているわけではないが、その部分においてまだやれることはある。棒を90度回転させて棒の握りを変える。
変えた瞬間に棒の速度が20%程アップする。
これは先端に付いている羽のせい。練習用の棒は空気の抵抗を受けやすくされていて90度回転させると その抵抗となる笛の部分に空気の流れが起きなくなってスピードが上がった。
踏み込んだ足の力で地面が少し沈む。本当に沈んだかどうかは別としてそう感じた。
体を軸にして腰の高さにして回転を加えると独楽のように体が回る。
ここで足を止めればすぐにも飛んでくるはず。もちろん予想通り。
止まる前の独楽の重心が左右に振れるように角度をつけて飛んできたものを打ち返した。
手ごたえからは石のようなもの。方向は先ほど推理した・・・・
 
椅子の裏から人影が。
人影に向かって回転している力の軸足を右足において左足ですべて受け止める。
悲鳴をあげながらも左足は足首、膝、股関節、指まですべての関節と筋肉が目いっぱい力をためて沈み込む。貯めた力を弾けさせるように一気に大きく前に飛ぶ。
勿論、長老の椅子まで。
飛んでいる間に反対方向に押された体はゆっくりとスピンを始める。

Miss.Lの修行 2

進化というのはある意味残酷なもので、生き残った者が正義だというわかりやすいものです。
その時代に適したものが生き残って、時代に遅れたもの、時代に適さないものは滅びてゆくわけです。
では、命がけで戦はなければいけない時代に殺さずを謳う武器の生存を残すはずはないのである。
日本でもそうだ、江戸時代に武士こそが支配階級の頂点でそれをわかりやすい形で理解させるために 武士以外には武器としての刃物を持つことを許さなかった日本においてすら 古来より伝わる流派が文武不殺を謳う流派として存在する。
中国でも「聖天大聖」と言って天に比べるものなき物と自画自賛していた猿の武器もそうだったわけです。
両端に刃や、多くの針のついた武器を持つのが普通、現に河童と豚の家来はそういったものを付けた武器を持っていた。
だとすれば、何故にこれほどの数の流派がありこれほどの人が学ぶまでになったのか それこそが私の研究対象であった。
そして棒術の発祥の地という中国奥地にまでやって来て卒論のために持論の実証を図ったのですが、それが全く通用せずにそのまま居ついている。
宗教と強固に結びついていると思った持論は、発祥の地が仏教とイスラム教が混沌とした場所だったという時点で挫折したわけです。
昔、この国が侵略の危機にあったときに その国の王が治めた武術が棒術であったということ以上にわかることがない。もちろん中国全土というわけではなくこの地区にあった国ということであるが・・・
それでも思った以上に体にしみこむようなこの国の棒術。
むき出しの体術は 体の動きそのものを少しずつ広げただけのもの。
どれ一つ無理のない動きながら、自分のもう一歩を要求される動きは体に辛いのですがそれ以上に自分の想像以上の動きが、変わってゆく毎日薄皮を一枚ずつ剥ぐように 毎日わずか1mm程度でも 昨日より今日、明日と動きが すべての動きが大きくなる感覚はどんな武術を今まで学んできても得られない感覚。
例えるなら初めて技を教えてもらったときに、その動きが思った以上の威力を見せた時の感動が毎日続くような感覚。
それが新しい技などではなく、一連の動きの流れを繰り返すだけで体感できる。技を修めたのではなく この棒術の教えの流れに乗った感じ。
故に、最後に絶掌の短い塘路を教え習得したにもかかわらず 自らその拳法を修めた感覚がないのである。
いまだに手のひらで操られているようで、自らの意思で使うものに昇華されていない感じです。
人と練習で戦った時も 相手の動きに合わせて体が自動的に動く。
今日の練習も頭で考えているという感じではなく、長老からそれを指摘された気がする。
ちっとも自分のものになっていない。
あまりにも悔しくてここから離れられない。勿論、毎日の修行は新しい自分を発見できるという状況は変わっていない。余計に何にもわかっていない気がする。
 
一度、事件が起こっても村は変わらないのどかな風景。
一部の人たちが慌ただしいだけ・・・・
村の広場には練習場がある、自分の型を見るのに適している。
昨日の失敗は自分のせいかと思えばこそ練習にも身が入る。
塘路を極めて、その結果を評価されるのもこの広場。判定は誰でもなくこの広場がする。
塘路を正しく理解し、その通り行うことができれば長年の先史がこの広場に刻んだ通りの動きとなる。
強く踏み込む点、そこに出来た窪みにちょうど収まるようにできているからである。
そして、必ず手の位置や足の位置を止める場所には長老が座る位置からみれば必ず目印があるわけです。
そこに位置付く様にこなせばいいわけです。
もっとも、それを教えられるのは絶掌(その武術の必殺技。最後に教えられるために免許皆伝の意味となる)を与えられて後なのであるから知ってからでは役に立たない情報なのである。
うまくやれていると思う時には自らの正しさを証明してくれる練習場だが 今日は・・・ どうも駄目みたい。
うまく行くときははっきり分かる。踏み出したときに助けてくれる地面の窪みにけつまづきそうなほど乱れている。
見ている長老はそれにすら興味がないようで、すでに手を離れた弟子の成長など酔うのではと思えば不安になる。
何か一言でもアドバイスをもらえれば・・・
ああ、駄目 長老たちはそれどころではないのに自分のことしか頭にない。

Miss.Lの修行

「もっと速く」
覚えている。私もここで息が切れた。もう耐えられないと思ったから なんとなく顔がほころんでくる。
思い出せばあの意地悪な笑いにしか見えなかった師匠の笑みが理解できる。
関係のないことを考えると余計に顔の表情が緩む。
睨みつけられているのを感じれば感じるほど崩れて 恨みを買いそうだ。
それも良い。良い発奮材料だ。顔が締まって足に力が短い時間だろうが蘇っているのがわかる。私に追いついて足を止めてやろうと考えているのが分かる。自分がそうだったからである。
周りを見回して 投げつけることを考え体制を低くして迫る。
手頃な枝をうまく拾って後ろに隠しピッチを上げてくる。気が付いてないと思っているのであろう。
もう一歩のところまで来ると表情が徐々に険しく決意をもった顔に変わる。
いまにも飛びかかりたいのを わずかに追い切れない自分の脚力を恨みながら それでもせまろうとする。
いつまでもこの状態は続かない、足がもつれ始めていて危険なので誘ってあげる。
ちょうど草むらの道に切り替わるところで 道の変化に合わせて分からないように速度を落とすとここぞとばかりに迫る。
「やあー」
声出したらだめ、相手に逃げてくださいというようなもの。
もちろん声を出さなくても気がついたわけなので良いのだが、後で教えてあげなきゃと思いながら動きを読む。
長めの棒を見つけたようで、投げるより突くことを選んだのは評価できるが添えている左手がいけない。
突き損ねた後のことを考えて手首をすでに返している。
それでは突きの速度が鈍る。突きはもっとも最短で相手に届く攻撃だが、外された後のことを考えられる攻撃ではない。中途半端はせっかくの不意打ちを無駄にするのです。
己を殺す覚悟があっての攻撃だと。
 
それでも普段の教えがよいのか背中に当たろうかという攻撃はかなり鋭いものであるが 致死傷を狙う首のあたりへの突きというのは経験がこれも足りない。
この場合は外れないことを最優先にするために、何かの拍子に視線を後ろに向けても見つかりにくい腰のあたりを狙うのがセオリーで致命傷にならなくても相手に当たりさえすれば二撃目のチャンスは必ずあるのである。
これを教えるのはまだ早い・・・
できる限り引き寄せて 目に残像が残るぐらいの速度で攻撃をよけた。
おそらく突いて来た方には攻撃が溶けたように見えるだろう。
当たっている筈なのにと、そして、そう見えればこそ力を抜かずに突きを最後まで突きだすので大きく体制が崩れる。
予想通り私を追い越す形で体が流れる。実践では後頭部を狙って突きを出すのであるが ここはそのまま前向きに少し力を加える。
当たったはずの攻撃で前にバランスを崩しているところに少し力を加えるだけで そのまま前につんのめって顔から転ぶのである。
山道で顔から転ぶのは非常に痛い。昔私も・・・はもういいか。
「いて〜」
声を出すのも失格である。
がんばって勢いをつけたので転び方も派手である。ああ、滑るだけでなく頭を軸にして転がった。
2回転と少し回って止まったがこれは正解である。滑り続けるよりダメージは抑えられる。
痛さは実はあまり変わらないので なかなか身に付かない極意である。
 
起きあがったら体中傷だらけ。
可哀そうにと言いたい所だがおそらく言われても信じないであろうし、それでは為にならない。
それに、本人は可哀そうに思っていないようなのは 手からは先ほどの木の枝を放していない。
痛みをこらえているのか、呼吸を整えているのか目だけはギンギンで傷だらけでみすぼらしい体は片膝を立てた状態で座っている。
木の棒を隠し切れていないのはマイナスポイントであるが、この体制をとったのはほめてあげても良い。
どんなにぼろぼろになろうと目に光をともして攻撃態勢を取っていれば 追い打ちをかけるのにも相手にはわずかにでも躊躇が生まれるからです。
でも、そのあとが悪かった。
相手が格上であれば、不意打ちこそが効果的な攻撃で 見るからに体力を減らした状態であれば戦いを仕掛けるのは愚の骨頂。相手の技量を測りきれていないのは最悪である。
目が血走っているのは我を忘れている証拠である。冷静さを失った時点で負けているのである。
それが証拠に、右から左下に切りつけるだけの単純な攻撃に終始している。
何回かに一度地の他攻撃が混ざるものの既にそれすらも気が付いていないであろう。
こちらのよけ方も同じ方向で同じよけ方になっているのなど気がつくはずもない。
「あっ!?」
急に大きくジャンプして攻撃を・・・・
じゃない、こちらが落ちているのね。
壁に足を滑らして落下速度を落として対処する時間を稼ぐ。
思った以上に壁が崩れて速度が落ちない。深さはどれぐらい・・・
つま先を立てて体が浮かないように目いっぱい前に体を倒して蹴ってでも速度を落とす。
速度が落ちると壁の方も見えてきて出っ張った石に手をかけて体を止めた。
壁を見ると縦向きの筋が幾層にも入っている。
「やられた」
単調な攻撃も場所も予想済みで仕掛けてきたものらしい。なかなかやるものだ。
少なくとも私が修業を始めた頃より頭を使っている。仲の良い修業仲間の入れ知恵であろう。
「あっ」
岩をつかんでいる左手に何かが当たって力が抜けた。
「あいたっ!」
穴は思いのほか深くなかったようで、そのまま1mほど落下してお尻をしたたか打ったところで止まった。
 
「未熟者、周りに目がいってないから こんな小技に引っかかるんだ。」
心の中では年寄りはわざわざ出てきたりせずに家の中で引っ込んでいてくれたらいいのにと思いながら 一応かしこまって見せた。
「よいか、力が上の者にもちゃんと戦略を練れば勝てるのだ。頭を使え そして最後まであきらめるな」
教えている方のメンツは丸つぶれである。それでもいい勉強になっただろうと素直に思えるのはそれなりに修業が身に付いた結果とうれしくも思える。
「力は満ちている、やはり頭か・・・・」
呟くように師匠が言う。思わずむせてしまった。
それはないでしょ・・・・
既に絶掌(その武術の必殺技。最後に教えられるために免許皆伝の意味となる)も修めたので一人の武術家として認められたのであろうが後輩の指導などにいそしむ日々が続く。
どうも 兄弟子として認識されていて一人の武術家として認められていないような感じです。
今日のもどちらに教えるためにやったのやら・・・・
 
帰ってみると村の中が騒がしい。
もちろん祭りでも誕生日パーティでもない。どうも師匠である長老の帰りを待っていたかのようである。
「申し訳ありません」
二人の男が地面に座って詫びている。理由も言わずに詫びていることからもなんだか大変なことが起きたらしい。
そして、その日のうちに村中すべてが知ることになる。
村の産業は 細々とした酪農とわずかな植物の栽培である。
表向きはで、本当は傭兵を村から出すことが最も大きな稼ぎ口となっている。
決して裕福とは思えない村ではあるが そうやって近隣の村々とはケタ違いの収入を得ている。
裏向きなのは、そんなことが知れれば世界中の恨みを買った人たちがやってきかねないからである。人の恨みは何よりも深く たとえ一兵卒の打った弾が当たったのが戦争のせいだとしても 恨む対象としては大きすぎて 一生恨まれるのは弾を撃った一兵卒に向けられる。だから戦争をしてはいけないのである。
それでも起こしてしまった戦争の犠牲者を一人でも減らすために傭兵というのがいるのだと信じていたいのです。
そのためにみんな頑張っているのです。
そして、今日の話はとうとうこの里が傭兵の村だと知れてしまったという事だったのです。
「自らの命を守るためじゃ。しかたなかろう」
長老は怒るでもなく皆にそう伝えた。

紳士の身だしなみ 2

本来、ストリートパフォーマンスは目立つ格好で行われる。
それは人の目を引くためであり、お客がほかの人と違う何かだと気付かせる効果があるからである。
ところが行きすぎはいけない。
あまりにもしっかりしすぎていてもいけない。
町中にピエロの衣装を着て歩いている人がいたらどうだろう?
驚くほうもあるがあやしさが漂ってしまう。
派手であっても素顔が見えないほどまでしてしまうと相手に猜疑心を抱かせてしまうからである。
そういう意味では実に怪しいかもしれないと 思い直した。
近くにサーカスもなくて、いや サーカスの団員ならこんなところで練習をしていない。
つまり、あまりにも怪しくなさ過ぎて怪しい恰好だったわけである。
思わず振り返りピエロのほうを見た男の顔色が変わった。
いままで意外性のある出来事にもその態度を変えなかった男の顔色が明らかに変わった瞬間である。

ピエロは両手で一つ残った銀のボールを抱いている。
胸の前に恭しく持ち上げるかのように。
脇を広げたかと思うと体を少し前に倒し、背中は丸めているものの顔の向いている方向はこちら向きのまま変わらない。
つまり下を向いていないわけである。
その恰好が何をしているかはすぐに理解できた。
わきが開いたり閉じたりするタイミングで少しづつながら銀色のボールが大きくなってゆく。
金属にしか見えない銀色のボールが少しづつ膨らんでいる。
そう、息を吹き込んでいるのである。
まるで、それをジェスチュアで行っているのかに見える仕草であるが そのものの行為が行われているわけである。
そして今では腰から上のすべてが隠れてしまっている。
あまりにもおかしな仕草に一時的に見とれてはいたがすぐに我にかえった。
「盗んだものを返してもらおう。これは遊びじゃないんだぜ 怪我をしたくなければね」
ピエロが口を利かないことは知っているが、命がけで沈黙を守るほどのピエロはいやしない。
声をかけるのと同時にというよりすべてを言い終わる前に拳銃の銃口は銀色のボールを通してピエロの体を狙っている。
声を出したのはボール越しにこちらからピエロが見えないから相手からこちらの様子も見えないだろうからである。
十分に凄みを利かせたつもりであったが相手に伝わったかどうかも分からない。
 
「とん」 と音がして銀色のボールが地面に落ちてこちらに転がってくる。
明らかに私に向かって進んでくる。
迷わずに引き金を引いたのは斜め下の地面に向いた角度をつけてである。
「クシュッ」
あまりにさえない音ではあるが、消音効果の高いサイレンサーをつけた銃の発砲音はこんなものである。
下に向けたのはもしもの兆弾を避けるためである。
銃弾に弾かれて銀色のボールが空に向かって後退を始めた。
跳ね返すほ程の堅さではないものの、かすったぐらいでは穴があかないほど強い素材でできているのであろう。

紳士の身だしなみ

「今時、木箱に入れて運ぶのもなんだろう」
樹脂のラックに、ガロン単位の液体のボトルが立体物の投影図のように正方形に詰め込まれている。
液体が透明で枠だけのラックなので中途半端に向こう側が見えているので たくさん並んでいると視覚神経をおかしくさせられて遠近感が失われてしまう。
最近にして真面目にやっているようだが 木を隠すなら森の中というように 所詮水に溶ける薬は水に溶けば見えなくなるのである。
空港などではペットボトルの検査に使っているように 液体を拡販すれば良いわけなのですが ガロン級のボトルの透明の底に透明のゼリーのようなものでコーティングされた液体を見つけ出すのは実は難しい。
ましてや水のように大量に運ばなければ採算性が出ないようなものの中にわずかに混ぜられた薬剤など発見される確率を計算すればわかるとおりである。
そして、間違えてはいけないのは少量でもかなりの金額になるということである。
そしてその回収も港湾作業で 中の見える軟いラックと便で重量をわずかでも減らし運送中の損失覚悟で運ぶ荷物なればこそ 多少の数が減っても損出の中に混ぜられてしまいわからないものである。
ただ、勿論 たとえ発覚しても水泥棒に専用の捜査本部を置いてまでの念入りな操作も起きないのが利点である。
唯一、その回収をする自由業の方々の視覚神経が狂うことなどは 大した問題ではないようである。
検査官と称する夜にもかかわらず周りの暗さを上回る色のついた眼鏡を掛けた目つきの鋭い男がつまらなさそうに運ぶ荷物にしるしをつけてゆく。
 
外観検査の不合格品と書かれた書類を持って わずか数十分の作業を終えて波止場から帰ろうとするとおかしな音がする。
なにか金属がすれる音が。
もちろん、やましくないわけではないから反射的に身構え警戒をするものの、そんなことで相好持ち崩す程の小物では勤まらないらしく 努めて平常と変わらないまま歩いてゆく。
そして、そして非日常が。
街灯がまるでスポットライトのように道路を照らしているように見えるのは 色ガラス越しの周りの暗さに目が慣れているからで 色ガラスを通さずに隙間から覗く景色がまぶしく見えただけ。実際は何とか手元が見えるような明るさ。
その明りの中でも色の違いがわかるほどにどぎつい色の服を着た男が・・・
声をかけることもためらわれるものの、こんな人気のない波止場に人が立っていればおかしくないと思うほうが不思議である。
その男の職業は見ただけで分かるだけに怪しげである。
 
「やあ、何してんだ?」
変な聞き方ではあるが、怪しいから何してやがるんだと聞くのもおかしいのでこれぐらいが妥当であると判断できるあたりも それなりの悪党であるといえるだろう。
声をかけられたほうも十分に驚いたものの こちらもどうもプロらしく右手を胸の前に平行に出して恭しく頭を下げて大げさに大げさに左足を後ろに引いた。
そして姿勢を直して 両手を後ろに隠した。
声をかけた肩を軽くゆすって、胸につってある拳銃の存在を確認した。
これはプロとして既に条件反射にまでなっている行為で、もしもの時に無かったでは次の日の朝が来ないことを本能に近いレベルまで刷り込まれているからである。
後ろに隠した両手に握られていたのは どこから出してきたのか直径30cmもあろうかという銀色のボールが両手に握られて出てきた。
間髪入れずに空に浮かべて右手と左手の間を 交互にリズミカルに飛ばし始めた。
なんとなく色眼鏡越しにもその男の言いたいことは理解できたものの、それだけでこの男の疑いが晴れたわけではない。
「なんでこんなところで 人も来ないのにやってやがるんだ?」
声をかけられたことでびっくりしたのかリズミカルに動いていた銀のボールが手元から落ちて割れてしまった。
そして、そのボールの中から拾い上げたものは まるで巻物のように丸められた紙で
「世間の邪魔にならないところで 人目に付かないところで練習中です」
と書かれた紙で、ゆっくり引きあげられてすべての文字が読めるようになった。
よく目を凝らして見ると、男の周りの地面には丸い跡がたくさん付いていて 人知れず毎日に近くここで練習してきたのだろうということはわかった。
双方の緊張感が解けて、空気が少し軽くなった。
「見事なものだな」
と立ち去る前に声をかけ、小さな銀色の硬貨をピエロに指ではじいて投げた。
一つ残されたボールで受け取るように落ちるすんでで受け止めると効果は音もなく消えた。
そして、前にもまして恭しくお辞儀をしたものの、硬貨を投げた男は振り返ることもなくそのまま歩き去って行った。
そんなことを気にとめないように またじゃぐリングを始めた。
今の硬貨の分だけでも芸をしなければという風にも見えるし、練習している風にも見える。
夜中に波止場でピエロの服の男がいるということがなじんだ来たように思えてきた。

NEXGENは・・・

Next Generationから作られた造語で、CISCプロセッサーRiscプロセッサーのハードウエアーエミュレーションで動かすというX86系のCPUの新しい形を提示した物です。
NexGen自身はなくなってしまったものの、その後IntelAMDクロックアップ競争の中で構造の簡単なRISCプロセッサーでのCISCエミュレーションがx86系のプロセッサのクロックを上げるためには有効な手法であることがみなの知るところとなり現在のプロセッサーの殆どがその手法を使って作られています。
名前は消えたものの、その技術は長らく残ってゆく(もちろん商品化と、技術の開発とは別ですが)というのはそれはそれでめいよなことですよね。