Miss.Lの修業 その4

驚いていいのかそれとも恐怖を感じていいのか。
攻撃を受けながら少なくとも体は心を離れて歓喜している。
体が新しい動きに馴染んできている。悪意ある気配が驚くほど強くなっているにもかかわらずである。それも一つじゃない
飛礫を避けながらも馴染んできた体は余裕を取り戻した。飛礫の一つを打ち返せるほどに。
三拍子の飛礫、これは一度に三発の飛礫を打っている。そして片手は常に空いていて 曲折しているのは地面に当たり転がるときに角度が付いていることからも想像できる。
位置を、推し量られないようにした配慮だろう。
そして、近づく影はあまりにもあけすけに気配を出している。
音こそ聞こえない物の、プレッシャーの強さからそれを職業としているものの気配である。
これが、そうでなければ気負った気配が伝わってくる。
とにかく今の攻撃を防ぐのが先決である。
それにはあまりにも正確な攻撃こそが弱点である。
 
長老の座る椅子から 木までの距離は約15メートル。
椅子まで一気に近づいて、そして椅子を踏み台にしてジャンプする。
曲折する飛礫は正面か高速で近づく敵に向けて撃つには効率の悪い攻撃だからである。
大きく左に飛びのき、そこから左に円を描くように椅子までの距離を詰める。
相手には木に直接向かったのか、どうかが解らないような配慮である。
木の上から降り注ぐような攻撃も弧を描くこちらの動きを必ずしも読めているわけではない。左右に逸れるものも出て攻撃精度が下がったことを顕著に物語る。
今まで動かずに攻撃を受けていたことに比べると格段の進歩である。
ようやく反撃すべき糸口が見えてきたわけである。
木までの最接近ポイントでは当然攻撃の速度が上がることを想定し動きに速度を落とさずに済むように、その範囲で体をランダムに左右に振り狙点をずらす必要もあった。
足首の腱が着地した時の足の角度に合わせて非常に柔軟に動いてくれている。
いま、飛礫を避けるのに使った動きの応用で 今できるようになった動きながら 長い間当たり前にやっていたかのように体に馴染んでいる。
実戦での訓練が大事な理由である。
体がそのまま受け入れるべきものを素直に感じてくれている。反復して練習する時にはその意味なまじ考えているからこそ解らなくなることもある。
自分にとっての新しい感覚は自分の考えの中にないために、頭の中の常識にとらわれるとその動きの中で最も効率のよいものを自然と取り入れてしまうからである。
無理に近い動きを強いられて、考えるまでもなく動いた体が 頭の中の考え以上の動きを当たり前と認識して 動きが頭の中の感覚を書き換えたよい例である。
運動選手でも、ある時世界記録のような記録を出した選手は その後も世界の第一線で戦える能力を発揮することが多く 一皮むけたようになることが多い。
それは体が、その記憶を覚えこんでしまうかららしい。
 
最接近点から平行に迂回するようなルートをとり、まるで回り込んで木の上を窺うように動き そのまま抜けるはずだったがやはりそううまくはいかない。
頭が先行すると僅かではあるがそれで動きが鈍ることもある。修行不足と言えばそうなのではあるがそれが予想外に足を着くべきポイントに飛礫を呼び込んだ。
相手の攻撃は理にかなった素直なものである。
恰好はどうあれ動きさえ止めればそのあとはどうとでもなる。
特に頭や体に関しては体をひねるだけでその狙点をずらすことが可能ではあるが、これが着地する足を狙われれば多くの場合それを避けるすべはない。
これが棒術使いでなければと言う前提こそあればである。
第三の手であり足である棒は負担の大きい動きを強いられるが十分にその代わりを務めてくれる。
足よりわずかに早く棒が地面を蹴りもう一歩先の本来右足が着地すべきだった辺りに左足を着地させることができた、
相手の二撃はその足のつく点を狙っていたがこちらの足は平行棒の上を歩いているわけではないので右足がつくはずだった点に左足が着地するわけではないので労せずして避けることができたわけである。
そして、左右の足の交代は相手の攻撃に一瞬の迷いを生む効果も期待できた。そして現実に方向転換するために着地した軸足を45度程回すだけの時間が生まれた、
当然、蹴りだされた足は進行方向をずらし また、相手の攻撃の方向修正を強いることができる、
これは結果論であるが、いくらなんでもきれいな弧を描いての動きは進行ルートを相手に予測させるきっかけになるのだが(現に読まれたから危ない攻撃を受けた)事によっては相手の攻撃によってこちらがいったん引いて 攻撃の当たらない地点まで撤退したと勘違いさせることもできたかもしれない。
攻撃の意外性をより強くすることはできたはずである。
そして相手のこちらの動きの読みをリセットすることができた効果は高く狙いは相変わらず正確ではあるが迷いがあるので、攻撃対象が最も面積の広い胴に移っているために前述通り避けるのに体全部をコントロールする必要がなくなって楽になっている。