紳士の身だしなみ

「今時、木箱に入れて運ぶのもなんだろう」
樹脂のラックに、ガロン単位の液体のボトルが立体物の投影図のように正方形に詰め込まれている。
液体が透明で枠だけのラックなので中途半端に向こう側が見えているので たくさん並んでいると視覚神経をおかしくさせられて遠近感が失われてしまう。
最近にして真面目にやっているようだが 木を隠すなら森の中というように 所詮水に溶ける薬は水に溶けば見えなくなるのである。
空港などではペットボトルの検査に使っているように 液体を拡販すれば良いわけなのですが ガロン級のボトルの透明の底に透明のゼリーのようなものでコーティングされた液体を見つけ出すのは実は難しい。
ましてや水のように大量に運ばなければ採算性が出ないようなものの中にわずかに混ぜられた薬剤など発見される確率を計算すればわかるとおりである。
そして、間違えてはいけないのは少量でもかなりの金額になるということである。
そしてその回収も港湾作業で 中の見える軟いラックと便で重量をわずかでも減らし運送中の損失覚悟で運ぶ荷物なればこそ 多少の数が減っても損出の中に混ぜられてしまいわからないものである。
ただ、勿論 たとえ発覚しても水泥棒に専用の捜査本部を置いてまでの念入りな操作も起きないのが利点である。
唯一、その回収をする自由業の方々の視覚神経が狂うことなどは 大した問題ではないようである。
検査官と称する夜にもかかわらず周りの暗さを上回る色のついた眼鏡を掛けた目つきの鋭い男がつまらなさそうに運ぶ荷物にしるしをつけてゆく。
 
外観検査の不合格品と書かれた書類を持って わずか数十分の作業を終えて波止場から帰ろうとするとおかしな音がする。
なにか金属がすれる音が。
もちろん、やましくないわけではないから反射的に身構え警戒をするものの、そんなことで相好持ち崩す程の小物では勤まらないらしく 努めて平常と変わらないまま歩いてゆく。
そして、そして非日常が。
街灯がまるでスポットライトのように道路を照らしているように見えるのは 色ガラス越しの周りの暗さに目が慣れているからで 色ガラスを通さずに隙間から覗く景色がまぶしく見えただけ。実際は何とか手元が見えるような明るさ。
その明りの中でも色の違いがわかるほどにどぎつい色の服を着た男が・・・
声をかけることもためらわれるものの、こんな人気のない波止場に人が立っていればおかしくないと思うほうが不思議である。
その男の職業は見ただけで分かるだけに怪しげである。
 
「やあ、何してんだ?」
変な聞き方ではあるが、怪しいから何してやがるんだと聞くのもおかしいのでこれぐらいが妥当であると判断できるあたりも それなりの悪党であるといえるだろう。
声をかけられたほうも十分に驚いたものの こちらもどうもプロらしく右手を胸の前に平行に出して恭しく頭を下げて大げさに大げさに左足を後ろに引いた。
そして姿勢を直して 両手を後ろに隠した。
声をかけた肩を軽くゆすって、胸につってある拳銃の存在を確認した。
これはプロとして既に条件反射にまでなっている行為で、もしもの時に無かったでは次の日の朝が来ないことを本能に近いレベルまで刷り込まれているからである。
後ろに隠した両手に握られていたのは どこから出してきたのか直径30cmもあろうかという銀色のボールが両手に握られて出てきた。
間髪入れずに空に浮かべて右手と左手の間を 交互にリズミカルに飛ばし始めた。
なんとなく色眼鏡越しにもその男の言いたいことは理解できたものの、それだけでこの男の疑いが晴れたわけではない。
「なんでこんなところで 人も来ないのにやってやがるんだ?」
声をかけられたことでびっくりしたのかリズミカルに動いていた銀のボールが手元から落ちて割れてしまった。
そして、そのボールの中から拾い上げたものは まるで巻物のように丸められた紙で
「世間の邪魔にならないところで 人目に付かないところで練習中です」
と書かれた紙で、ゆっくり引きあげられてすべての文字が読めるようになった。
よく目を凝らして見ると、男の周りの地面には丸い跡がたくさん付いていて 人知れず毎日に近くここで練習してきたのだろうということはわかった。
双方の緊張感が解けて、空気が少し軽くなった。
「見事なものだな」
と立ち去る前に声をかけ、小さな銀色の硬貨をピエロに指ではじいて投げた。
一つ残されたボールで受け取るように落ちるすんでで受け止めると効果は音もなく消えた。
そして、前にもまして恭しくお辞儀をしたものの、硬貨を投げた男は振り返ることもなくそのまま歩き去って行った。
そんなことを気にとめないように またじゃぐリングを始めた。
今の硬貨の分だけでも芸をしなければという風にも見えるし、練習している風にも見える。
夜中に波止場でピエロの服の男がいるということがなじんだ来たように思えてきた。